受講者の声(坐禅合宿)

『 マインドフルネス専門家合宿講座終了レポート』

2018年1月11日 髙橋 和子氏 

1、合宿で学び、「理解した」と思われることについて
 今回の合宿では道元禅師の普勧坐禅儀について講義を受けた。普勧坐禅儀は坐禅の意義・方法・注意点などが述べられており、一般の人でもその書物を読めば、坐禅が正しくできるように書かれた書物である。
 その内容は、本当の自分を取り戻すためには、特別な技法が必要なのではなく、マインドトークをふき取るように修行を続けなくても、遠くに行かなくても、今自分がいる場所、環境でも本当の自分を取り戻すことが出来る。今自分がいるこの場所で、自分の内側に眼を向ける。それが重要なのであって、そこを間違えてはならない。
 人の言葉や書物から方法を学ぶだけではなく、実際に坐禅を行う事が大切である。坐禅の方法は、静かな場所で、食事の直後や空腹を避け、何かを考える事をすべて一度やめて、良い悪いは判断を下さず、静かに座る。
 坐り方には、結跏趺坐と半跏趺坐がある。服装は、ゆったりとした服で、きちんと整えた上で坐禅をする。坐禅の形が出来上がったら、必ず背筋を伸ばして真っ直ぐに姿勢を正し、左右どちらかに傾いたり、前に俯いたり、後ろにのけぞったりした状態で坐禅をしない。両耳を結ぶ線と両肩を結ぶ線が平行になり、その線に鼻と臍を結ぶ線が垂直になるように意識し、舌は上の前歯の付け根のあたりにくっつけて、歯を噛み合わせて口を閉じる。眼は必ず半眼にして、閉じずに少し開ける。これが正しい姿勢であると記されている。
 今までに習った方法で姿勢を正し、坐禅を行うと本当にこの姿勢になると思った。そして、実際に坐禅を行ってみると、姿勢を正しくしていると、足は痺れて痛いが、それ以外は楽であった。 
 呼吸については、呼吸はゆっくりと鼻で行うと記されている。実習では、胸郭の動き、背骨の動きを確認した。 
坐禅を終える際は、ゆっくりと体をほぐしながら、坐禅中の心を維持するように、急いだり、荒々しく動いたりせず、安らかに立ち上がるように気を配ることが大切であると記されている。
 骨盤を正しい位置に置き、姿勢を正す、そして呼吸をすれば、自然と心は整う。マインドトークは気づきさえしていれば、自然に消えていく。そのマインドトークの評価はせず、ただただ見る事が大切である。マインドトークを無理に消す必要はない。坐禅を頭で理解するだけではなく、実際に行い続ける、マインドトーク洞察シートを付け続けて行くことが重要である事を理解した。
2、合宿で「体得した」、もしくは「気づいた」ことについて
・坐禅
 初めての場所で初めての事をする事に興味がいってしまって、雲水さんのすべての動きが気になって、最初のうちは、マインドトークが多かった。しかし、最後は体の感覚を意識し集中できたように思う。そして、しびれた足で立ち、ゆっくり歩く時(歩行瞑想)は足がしびれた痛みから解放され、足の裏が地面に着く感覚、徐々に血が通い、足が温かくなる感覚を感じることが出来た。足の感覚に集中している時には不思議と、その一瞬は、マインドトークが無くなっていた事に気づいた。一心にただただ歩く事を行った。
・食べる瞑想
 最初は初めての事に戸惑いと興味が向いてしまいマインドトークだらけになってしまった。しかし、動作に慣れると、音を出さないようにしようとすると、動作に集中しなければ音を立ててしまうので、マインドトークも減っていった。指先の感覚を感じていた。
・生活瞑想
 作務を通して、すべての生活の動作を丁寧にする事が、今ここに集中する、感覚に気持ちを置くという事につながるのではないかと思った。家に帰って、家事を行う際、作務をさせて頂いた時を思い出し、一つ一つ丁寧に行うよう心掛けている。丁寧に行おうとすると、他の事を考えては行えないなあと思う。マインドトークにつかまっていては、やっている家事が丁寧には行えていないことに気づいた。
 禅寺での一泊二日の合宿は、無駄なものが一切なく、とても気持ちのいい空間でした。テレビ、スマホなどからの情報が無い事や、気持ちを揺さぶられるような刺激も殆ど無く、心が穏やかに過ぎていきました。しかし、現実の日常に返ってみると、そうもいきませんが、それは、それで良いかなと思えるようになりました。また、子ども達が起きる前の少しの時間でも、坐禅を続けていこうと思います。

 以前は、無心にトイレ掃除を行って、子どもが入ってきたら邪魔しないで!と思っていましたが、無心ではなく、マインドトークに気づく事が大切だと思えるようになりました。そして、子どもが来た時には、イライラするのではなく、家事は完璧でなくても手を止めて、思いっきり遊んでマインドフルネスになることも必要かと思えるようになりました。

坐禅・理論合宿レポート

2015.2寄稿 女性 作業療法士(福岡県)

1.あなたは何を期待してこの合宿に参加されましたか?
 8週間プログラムに参加させていただき、マインドフルネスの入口を教えていただいたように理解をしておりました。日常的に使えるようになるためには、もっとマインドフルネスとは何かということの理解と、体験を深めることが必要と思い、合宿に参加させていただきたいと思いました。
 しかし、8週間プログラムでのマインドフルの入口でつまずいているような感覚になっていた私には、少しレベルの高いものに思えて、ためらいがありました。8週間プログラムが終わってマインドフルネスがつかめているとかいないとか以上に、自分をもっと知りたいと思うようになりました。自分に自信がなかったり、何か上手くいかない感じがあったりする自分の根っこを知りたいと思い、どうすればそこに行きつくか教えていただけるような気がして合宿の参加を決めました。
2.「何を得ることができましたか」、それぞれについてできるだけ詳細に述べてください。
・坐禅
 坐禅だけでなく、坐禅を中心とした生活すべてからの学びとして書かせていただきます。自分の日常がいかに、必要でないものに振り回されているかが、よく分かりました。そして、目に見えない人や、物に助けられて生活しているという感謝の心を忘れているかということに気づきました。食事のときの、鳥へ分ける米つぶを取っておくという心が、身近な人にも向くと、「助け、助けられ」という優しい毎日になるだろうと感じました。また、「おかげ様」という言葉のもつ意味も味わっていました。
 坐禅では、回数を重ねるごとに、狭い視界から外れたところがぼやけていき、「集中」とはこういうことだと感じました。また、物にあふれた自分の部屋で行う瞑想では、マインドトークがあふれてくるのに比べて、研修中の坐禅はマインドトークが少なく日常から時間を切り離した時間という経験をすることが出来ました。
 また、場や一緒に行っている方のもっているエネルギーの強さなのか、組んでいる手に感じるものがとても強く感じました。マインドフルネスの練習で「日常から離れた贅沢な時間」とよくお聞きしますが、実際にそういう空間を作ることも大切と学びました。
・唯識のマインドフルネス的理解
 私には、難しすぎて理解できるところに到達しておらず、「得たもの」がよく分かりません。内容からではないのですが、「もっと知りたい」という思いは得ることが出来たと思います。研修にあたって、慌てて予習しようと横山紘一先生の本を読みながら研修に参加したのですが、字を追っているだけであったものが、帰りの道中で続きを読むと「昨日習った言葉だ」と少し親しみがわいてきました。それだけでも、自分にとっては大きな収穫だと思っています。
今の自分を作っているのは、まぎれもなく自分であるということの理解をしました。私は、「どうして私は、同じような悪い環境に入って同じような目にあうんだろう」とよく思っていました。しかし、その時にマインドトークに気づき、悪いものとして蓄積されなければ、その後の環境も変わったのかもしれないと思いました。阿頼耶識には、生まれながらに蓄えているものがあると学びました。それは変えることが出来ませんが、その後蓄えるものをよいものにすることで、意識するもの、知覚するものが変わっていくことが出来るということでしょうか?
 きちんとした理解はできていませんが、マインドフルネスを深め、マインドトークが減っていったり、自分のマインドトークに気づき行動を変えることが出来たりするようになると、自分の人格が変わってくる、そして自分が人によい縁になって、人の中に蓄えられるものが、変わってくると、社会全体が変わってくるという理解をしました。少し違うかもしれませんが、社会のよいものの発生源になりたいという思いを得ることが出来ました。
3.からだ調整
 研修の間は、教えていただく動きを行うことで精いっぱいで、その動きが何を意味しているか、なぜ行っているかの理解は不十分だったと思い、もったいない気持ちがしています。マインドフルネスとよくつながっていないかもしれませんが、大きく二つのことを得たと思います。
 まずは、自分の体を観察する機会が増えたこと。私は、同じような部位が、ぎっくり腰になることがあり、自分の腰の硬さはわかっていたつもりでした。研修の中にいろいろな動きをしていると、当然のようにその部位が、ギシギシいうような痛みが出てきました。研修後、習った動きをしながら、「今日はどうかな」とみてみたり、次の日などに「痛みは残っているかな」と体と対話したりすることが、増えました。そうしていると、身体の癖というものが、少しずつ修正されていく感じがしています。
 もう一つは、この課題を作成する中で思ったことですが、マインドフルネスという分野でも、自分らしさを出すことが出来るかもしれないと思ったことです。私は、作業療法士という仕事をしていますが、臨床経験は精神科の分野のみであり、学校で学んだ体の知識は、学生時代を頂点に薄らいでいくばかりでした。体も扱える療法士でいたいと、身体の分野の研修などに参加して自分なりに勉強を続けようとしてはいましたが、日々の臨床で知識も技術も使う機会がないと、忘れてしまったり、モチベーションが続かなかったりしていました。
 しかし今回の研修のからだ調整の内容は、関心を向けてきた内容に近く楽しく聞くことが出来ました。今の職場でのマインドフルネスのプログラムは、思考や気分の観察が主で身体をダイレクトに扱うことはなく、私自身がプログラムへの関わりが少ないこともあり、マインドフルネスをハードルの高いものと感じていました。
 しかし、今回の研修の中で「からだ調整」ということがマインドフルネスに必要であると繰り返し教えていただいたことで、こころと体がつながっている以上、体を見ることが出来る人がマインドフルネスに関わることも、今後必要とされるかもしれないと思い、私は、そこで少しでも役立てるように学びを深めたいと考えました。
4.シェアリング
 私は、「どうして、私はいつまでたっても、マインドフルネスのスキルがつかないんだろう」という思いを強く持っていました。「体験を通していくしかない」と言われながらも、どこが、合格ラインで、今自分はどのレベルにいるんだろうといった思いから抜け出すことが出来ずにいました。
今回、シェアリングのときに入れていただいたグループは、何度も研修に参加されている先輩方 ばかりで構成されていました。私は、最近あった、少しマインドフルになれたような気がした話をしました。そのあとに「どんなことが出来たときから、マインドフルネスのスキルがついたと感じましたか」という質問をさせていただきました。班の方は、少し不思議そうな顔をされて「どうなりたいのか?」と聞かれました。自分の中で「こういうふうにならないとマインドフルでない、という像がある」と思っていたと改めて気づきました。
そして、「話を聞いていると、出来ていると思うけど」と言っていただきました。「できない、できない、できない」と思っていたものから、少し力が抜けることが出来ました。また、「スキルを身につけたいとこのような研修にくるのも、目的があって、マインドフルネスでない気がしてきて分からなくなる」という質問をすると、「必要なものが見えてきて、仕分けが出来るようになる」と話してくださいました。これでいいのかと力が入っていたことから、少し解放出来たことは大きな収穫となりました。
5.次回研修に向けて、ご意見をお聞かせください。
 今回の合宿のようなマインドフルネスの根っこにある考えを教えていただけること、瞑想実践、各々が行っているマインドフルネスな日常生活のシェアの3本立ての内容で定期的に研修があっていただけると、本当にうれしく思います。
 瞑想を続けていくためには、知識があって良さを知っていることが必要だと思います。私には、理解がすぐに出来ることでない難しい話が多いので、小出しにするように少しずつお話いただけると、助かります。また、日常の中で、「こんなことをマインドフルに感じた」といったことを話す機会があると、自分がマインドフルを生活の中で応用出来ていると確認することが出来、また、よりよい日常になると思います。
 私は自分の気づきを「これでいいのか?」とすぐに不安になるので、定期的な機会があれば、そのたびに自分を見直すことが出来るので、助かると思います。
 大変お世話になりました。

坐禅合宿体験者記事

2013.09.30 吉田敏之氏(奈良県)

マインドフルネスのセミナーで二泊三日の日程で禅寺での合宿に参加しました。室町時代から続く由緒あるお寺で、本来はお坊さんになるための修行をおこなう専門僧堂ですが、今回は特別のはからいにより一般人の我々の修行体験を認めていただきました。

合宿日程表では晩9時消灯、朝3時半起床といかにも禅寺らしい。お堂での「朝課(ちょうか」」(お経をあげる)、その後「作務(さむ)」(掃除などの雑務による動きの中の禅トレーニング)を早朝からおこない「粥坐(しゅくざ)」(食事)となります。

この合宿のなかでも特に心に残ったのが禅寺での食事で、8週間プログラムでのレーズン瞑想はこの食事作法を基本にされているのではないかと感じました。いろいろ決まりごとがあり、皆そろって並び坐禅と同じように足を組んだ状態になったところで各々の器に、修行に培われた作法に則って食事が配膳されます。献立はとてもシンプルでヘルシーな内容です。そして食事への感謝の祈りを捧げてからいただきますが、当然のことながら食事中の私語は禁止で黙々といただきます。

食べる前に配膳されたらまず「生飯(さば)」を取って机上の器の前に置きます。「生飯(さば)」とは米粒を2~3粒とって鳥や小動物などに捧げる為のもの。こういう細かい配慮というか優しさが、自然に作法のなかに取り入れてあることに仏教の「慈悲」が感じられました。器は食べ終わった後に配られる白湯を飯のはいっていた器に注ぎ、一枚だけ残してあった沢庵できれいに器の内部を拭いその沢庵を食べます。次に汁の入っていた椀に湯を移し箸や飯の器の縁を指先で洗い、最後にまた飯の器に湯を戻して汁の椀を洗った後に残った湯を飲み干します。

一般社会や家庭ではお行儀が悪くあまり衛生的でないように感じられますが、この作法は非常に無駄がなく理にかなっており、その所作はとても美しく、食べ物を大切にしている尊さが感じられました。そしてこの食事中はマインドトークも少なくとても集中できていたようです。

禅堂での本格的な坐禅も家でおこなうのとは違い、ピンと張った緊張感から時間が経つにつれて集中が高まりやがてそれが心地よくなって深いリラックスへと繋がる感覚がありました。「警策(けいさく)」で背を打たれるのも気が引き締まってまたよいものです。

礼儀や作法などは形式ではありますが、決められた形や規律のなかに身をおくと精神(心)にはたらきかける力が増幅され結果的に自らの成長に大きな影響を与えるのだとその意味の深さを感じました。非日常空間で過ごすことによって集中・気付きが得られます。

これは他の瞑想セミナーなどでも体験できるかもしれませんが、禅寺という場所は長きに渡って培われてきた特別なものが感じられます。余分なものを削ぎ落とし無駄のない質素な生活のなか、「ただ食べる・ただ作業する・ただ坐る」とシンプルな行為をおこなうことで自らをリセットし、ニュートラルな状態から本当の自己を発見できたと感じています。